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沿革

同窓会について

沿革

「ナニ・B・ゲーンス先生」
ナニ・B・ゲーンス先生

初代校長ゲーンス先生が、広島英和女学校に就任されて4年目の1891年(明治24年)、第1回生が卒業しました。その後約20年間は生徒数も少なく、この間の卒業生総数は約300名でした。
明治末期には同心会というものがありましたが、これはゲーンス先生、アイダ・シャナン先生のご援助により学内の教職員夫人や、その他の卒業生2~3名を中心に聖書研究会と親睦を目的とした会でした。
教頭の西村 静一郎先生と塩見 ヌイさんがこれを発展させ、1920年(大正9年)広島女学校同窓会が発足しました。会長には学校長が、副会長には同窓会の中より選出されることになりました。最初の同窓会長にはS・A・スチュアート第2代校長が就かれました。
こうして会は支障なく運営され、戦争による非常時には消滅状態に陥りましたが、松本 卓夫院長のもと、学校と共に復興しました。

占領軍の支配のもとで新しい民主主義の政治が施行され、婦人団体、地方自治体のあり方などについて講習会、懇談会が開催されましたが、我々の同窓会は改めて指導を受けるまでもありませんでした。母校創立以来の教育方針であるキリスト教による博愛精神は、民主主義に根ざしたものでしたから、何の違和感もなく戦後の女学院同窓会は新しく立ち上がることができました。

1951年(昭和26年)、本校の卒業生である広瀬 ハマコさんが女学院校長として就任されたことは、同窓会一同の誇りであり喜びでした。広瀬先生は着任と同時に、同窓会々長を兼務されることを辞退され、この時より会長を同窓会々員の中より選出することに、会則が改められました。初代会長には山崎 妙子さんが、副会長には河村 瑠璃さんが選ばれました。

またこの頃より、同窓会館としてゲーンス館再建の要望が高まり、準備にかかりました。戦後の悪条件の中にあって募金活動は容易ではありませんでしたが、会員の1人1人の熱意と努力により、1953年6月、遂に待望の同窓会館ゲーンス・ホールが上幟町の一角に完成しました。

現在の同窓会館は、1983年創立100周年記念事業の一環として竣工したゲーンス・ホールの東隣りに完成したものです。従来にもまさり研修に、親睦に各種会合を開き、活発に運営されています。


1953年6月 ゲーンス記念館落成

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