初代校長(校母)N.B.ゲーンス先生は、1860年アメリカ合衆国ケンタッキー州にてお生まれになりました。
広島女学院は1886年(明治19年)「広島女学会」として砂本 貞吉氏により開校後、「広島英和女学校」に改名されました。
ゲーンス先生は、1887年W.R.ランバス夫妻の中国伝道の報告に感動され、日本への宣教師派遣要請に応えることを決意され、10月にアメリカ南メソヂスト監督教会からの宣教師として「広島英和女学校」に着任され、校長となられました。
生涯を広島女学院のために捧げ、1932年2月26日に広島女学院名誉院長として、学院内ゲーンス館において召天され、現在は広島市南区の比治山墓地に眠っていらっしゃいます。
広島女学院校母 ナニ・B・ゲーンス先生について
広島女学院校母
ナニ・B・ゲーンス先生
広島女学院同窓生の歌
広島女学院同窓生の歌「どんなに時が流れても」は、2003年ホームカミングデーでクワイヤアイリスにより初演された際、ライブ録音されたものが、お聴きいただけます。
再生ボタンをクリックすると再生が始まります
(注1)1887年9月1日、ゲーンス先生、27歳の時にサンフランシスコ出航、日本に向かう。
(注2)「さびしい野辺 けわしい山路」はゲーンス先生の愛唱歌・讃美歌294より
(注3)ラテン語の「クム デオ ラボラムス(我らは神と共に働くものなり)」は標語